2009年12月1日火曜日

父と富貴蘭(1)

以前から思っていたのですが、父と富貴蘭の関わりを書いておきたいと思っていました。こちらはとりあえず聞いていった事を書いていくので、時代など前後する事もあるかもしれません。加筆修正して「富貴蘭のホームページ」にのせていこうと思っています。。。ご質問などありましたらコメント下さいね。


もともと植物が好きだったこともあり、昭和25年頃から小盆栽や万年青を育てていました。その後結核を患い、入退院。昭和36年頃2度目の退院の後仕事も本格的にできないので、近所に住む山野氏に勧められ、観音竹をはじめました。
昭和38年頃になると観音竹を売買した儲けのほうが本職の利益より高くなってきました。その頃から観音竹のブームが起こり、本格的に参入する業者も出てきて、家の小さな温室でやっていても無理があると思いはじめました。でも植木は好きなので何か作りたい・・損得抜きでできて、あまり手間がかからず、増えにくいもの・・・ということで探したところ富貴蘭を知りました。

以前から、山野氏と一緒に四天王寺庚申堂(注)で開かれている古典園芸植物の市に通っていました。そこでいろいろな人と知己を得ましたが、戦前からの富貴蘭の業者である吉本氏と知り合いました。 吉本氏は平野区の喜連にあった戦前日本一の大棚と云われた服部氏の元に常盤園と共に富貴蘭を持ち込んでいました。
富貴蘭をはじめようとした頃、吉本氏の息子さんがメッキ屋を始め、そのガスのせいか富貴蘭が痛み出し、やめようとされていました。そこで、観音竹と交換しようということになりました。痛んでいなかったのはせいぜい50鉢ほどでしたが、古い銘鑑や本も頂き、それから富貴蘭人生が始まりました。

(注)今は骨董朝市だけ行われています。

2 件のコメント:

  1. Chiseko様、今晩は。
    お父上は勝手気ままな富貴蘭と付き合って約半世紀ですか、色々な思い出があるのでしょうね。

    昔の縞物名品について、何か想い出話しなどがこれから披露されたら楽しいなと思っています。

    返信削除
  2. このところパタパタしていて、なかなか更新できません。。。いつものパターンに陥らないようにしなくては・・・
    ranshi様いつもありがとうございます。そうですね、これからぼちぼち聞き書きしていきたいと思っています。

    返信削除